礼拝
友納 靖史
常盤台バプテスト教会 2021.5.23 ペンテコステ 主日礼拝「悲嘆から希望の民へ③『癒される主に、立ち返れ』」 友納 靖史 牧師 【エレミヤ書 3章 14~22節】(新共同訳 旧約P.1179)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 455番 われに来よと主はいま 1、2、3節
聖書 エレミヤ書3章14~22節
特別賛美 "雨を降り注ぎ" 奏楽者
宣教 エレミヤ書 講解説教シリーズ
悲嘆から希望の民へ③「癒される主に、立ち帰れ」 友納靖史牧師
《特別賛美演奏:“もう一度”》
祈祷
賛美 363番 キリスト 教会の主よ 1、2節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- ヨエル書(3:1-5)で預言され、主イエスが約束された通り(ヨハネ14:15-29)、聖霊が弟子たちに注がれたのがペンテコステです(使徒2:1-21)。この出来事は、人間が神のようになるため天にまで届く(バベルの)塔を築こうとして神に阻まれ、言葉による意思疎通がバラバラになって以来、混乱(バラル)の世界が癒され、一つとされたことを喜び祝う日です。こうしてキリストの弟子たちは聖霊に励まされ、全世界へ遣わされ福音を伝える使命に生きる者へと変えられました。
礼拝で賛美された「もう一度」の歌詞は、ペンテコステを前にした弟子たちの心の思いと重なります。主イエスの十字架の死、そして復活後の昇天により、それまで当たり前のように共におられた主が、目の前から消え去り、彼らの心痛は大きかったはずです。「主イエスと共に過ごしていた時、もっとこうして、ああしておけばよかった…」と。けれども彼らは主の約束を思い出し励まし合ったのです。「わたしは父にお願いし、別の弁護者(真理の霊)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしよう。あなたがたを孤児にはしない。あなたがたの所に(聖霊として)戻ってくる(ヨハネ14:15-18)」と。だからこそ弟子は「一同一つになって」祈り、聖霊を待ち望んでいました(使徒2:1-4)。「次もう一度、主(なる神)が来られたら、わたしは心を入れ替えて、別の出会い方をしよう…」と。こうして聖霊と出会い、満たされた弟子たちは、イエスの語られた言葉を真剣かつ誠実に受けとめ、託された使命を喜び担い、課題多きこの世へと遣わされていく者へとされました。
エレミヤ書の今日の箇所でも神は、もう一度「わたしに立ち帰れ」と繰り返し呼びかけておられます。3章前半には、既に崩壊した北イスラエルの預言者ホセアが神に語られたと同じ比喩(譬え)が用いられています。主なる神を忘れ、別の神々と不実背信の関係を結んだ南ユダ王国の民に対して語られました。つまり、あたかも別の男性との関係を結び、離縁されて当然の女性を、それでも愛するよう命じられた夫の姿と同じように、神御自身が神に背いた人間の姿に深く傷つき痛み、それでもご自分の元へ立ち返ることを願い待ち続けておられることを…。その忍耐と慈しみ満ちた主の愛に、もう一度気づくようにエレミヤは語ります。それも、神に徹底的に背いて罪を犯した者にさえも主は呼びかけます。「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしはあなたがたを癒す(3:22)」と。
「癒される主に、立ち帰れ」という神の愛の叫びを、神の言なるイエスの言葉と聖霊を通して今、私たちも聞くことができます。癒しとは身体的な病が治ることも含みますが、聖書には何よりも心と魂、そして関係性が健全になる癒しの大切さを教えます。なぜなら後者3つに苦痛を覚えると、身体にその痛みが形となって表れるからです。今日の箇所は、主なる神を欺き逆らった神の民が人生で負う苦悩から、癒され(救われ)るためにはまず神との関係性を回復することが最優先だと呼びかけたのです。人間関係では、裏切りと破壊を経験すると、「覆水盆に返らず」のように全ては終ったと結論に至ることが多くあります。しかし人間を創造された神は、裁きではなく、慈しみと憐れみ、そして赦しを与えることを願っておられ、私たちが悔い改め、主なる神に立ち帰る時、人間の理解を越える深い愛をもってその関係を修復し、癒されるお方です。その姿は、主イエスによって語られた「放蕩息子の譬え話」において、父親の身上を無駄に食いつぶし、無一文となった弟息子を再び家へと迎え入れ、兄が憤慨する程にまで愛を示される姿に証しされます(ルカ15:11-32)。そして十字架で私たちの罪の身代わりとなって死なれた愛の姿で…。
「もう一度」、いや二度、三度と人生を新しくするチャンスを与えようと関わってくださる主なる神の愛に触れて、主に立ち帰る時、本当の癒しを経験できます。今日こそ、聖霊を受けましょう。